休日の夕食。いつもの皿やグラスが並ぶ食卓の真ん中に、大きなたらば蟹の脚を置いてみる。
それだけなのに、席についた瞬間の空気が少し違う。
「これ、一人一本いけるかな」
そんなひと言から始まる、今日は少し豪快な夕食だ。
大きなたらば蟹が並ぶだけで、いつもの食卓が少し変わる

テーブルの中央に置いたたらば蟹を見て、最初に目がいくのはやはりその大きさだった。
普段の夕食なら、何品かの料理に視線が分かれる。けれど今日は、大きなカニ脚が自然と食卓の主役になる。
「思ってたより大きいね」
向かいの席から声が上がり、もう一人も手を伸ばして大きさを確かめる。まだ食べ始めてもいないのに、いつもより会話が早い。
凝った料理を何品も並べたわけではない。食卓も、座っている顔ぶれもいつもと同じ。それでも、普段あまり目にしない大きさのものが真ん中にあるだけで、今日は何を食べる日なのかがはっきりする。
たまには、献立を工夫するより、ひとつの食べものに思い切って主役を任せたい。
そんな夕食があってもいいのかもしれない。
一本ずつ手に取ると、豪快に食べること自体が楽しくなる

それぞれが一本ずつ手に取る。
皿の上で少しずつ食べるのとは違って、大きな脚を持つと妙に気分が上がる。
「これ、もう料理というよりイベントだね」
笑いながら殻を開き、身を口へ運ぶ。隣では、どこから食べようかとカニ脚を眺めている人もいる。
大きなカニ脚を一本持ってみると、皿の上で見ていたとき以上にその存在感が分かる。「今日はこれを豪快に食べよう」と言いたくなるのも、この大きさがあってこそだ。
誰がきれいに身を取れたとか、思ったより食べ応えがあるとか。特別な話題を用意しなくても、目の前のカニをきっかけに言葉が行き交う。
味わうだけではなく、持って見せ合って、つい笑う。
「そっち、きれいに取れたね」
そんなひと言まで、いつもの夕食より自然に増えていく。
料理を頑張らなくても、またやりたい夕食になる

食事が進むにつれて、最初は迫力のあったカニ脚も少しずつ減っていく。
テーブルには殻が残り、「さすがに食べたね」と誰かが笑う。
最初の驚きはもうない。それでも、食卓にはまだ話の続きが残っている。
「次やるなら、もっと大きいのでもいいかも」
「いや、これくらいがちょうどいい」
そんな話をしていると、「特別な日じゃなくても、また蟹を囲む夜をつくっていいな」と思えてくる。
何か特別な日だから豪華にするのではなく、今日は豪快に食べたいから大きなたらば蟹を選ぶ。
料理を何品も考えなくても、ひとつの食材に存在感があれば、夕食そのものを遊べる日になる。
食べ終わるころには、「またやろう」が自然に出てくる。
次はどのくらいの大きさにするか。誰と食べるか。
そんな次の話まで始まったなら、今日の夕食は十分に楽しかったということだろう。
次に家族や夫婦で夕食を囲むなら、一本ずつ手に持って食べたくなるような、大きなカニ脚を選んでみたい。