夜、洗面台の前に立ったとき、いつもの洗顔を少しだけ変えてみる。
大げさなことではない。ウォッシュに混ぜるパウダーを、今日はいつもより少なめにしてみる。それだけで、毎日の洗顔に「今日はどうしよう」という小さな選択が生まれる。
1週間だけ、その日の配合を決めながら使ってみることにした。
今日は少なめ、洗顔の配合を少し変えてみる

最初の夜は、パウダーを少し控えめにした。
ウォッシュと混ぜながら、「このくらいかな」と手元を見る。きっちり量るわけではなく、昨日までとは少し違う加減を試してみるだけ。
次の日はいつも通り。その次は、ほんの少し多めに。
ウォッシュとパウダーを自分で混ぜるから、そのたびに配合を変えられる。同じものを使っているのに、毎回まったく同じにしなくてもいい。その余地があるだけで、洗顔の前に一瞬、手が止まるようになった。
「今日は、どのくらいにしよう」
普段なら流れるように終わる数分に、小さな問いがひとつ増える。
正解を当てるためではない。昨日との違いを、ちょっと確かめてみたいからだ。
比べてみると、自分が好きな加減が見えてくる

何日か続けていると、「違いを見つけよう」と構えなくても、自然と好みが出てくる。
昨日の配合より、今日のほうが使いやすい気がする。もう少しパウダーを足したときより、このくらいのほうが自分にはしっくりくる。
そんな短い実感が、洗顔のたびに少しずつ残っていく。
細かな記録をつける必要もない。「今日は好きだった」「次はもう少し減らしてみよう」。覚えているのは、その程度で十分だった。
考えてみれば、毎日使うものほど、自分なりの好みを探す機会は意外と少ない。決められた通りに使うことには慣れていても、「私はどのくらいが好きなんだろう」と試すことはあまりない。
「じゃあ明日は、少し減らしてみようかな」。そんなふうに、次の洗顔で試したいことまで浮かんでくる。
洗顔そのものを大きく変えるのではなく、ほんの少し加減を変えて、比べてみる。その小さな違いが、翌日の「今日はどうしよう」につながっていく。
1週間の実験で、自分なりの「ちょうどいい」が見つかる

1週間ほど経つころには、手に取るパウダーの量にも、なんとなくお気に入りができていた。
もちろん、これが唯一の正解というわけではない。
今日はこのくらい。気分が変われば、また少し違う配合を試してもいい。
そう思えることのほうが、むしろ楽しい。
始めたときは「違いが分かるかな」と思っていた小さな実験も、終わってみれば、自分の好みをひとつ知る時間になっていた。
毎日の洗顔は、これまでと同じように続いていく。ただ、ウォッシュとパウダーを手にしたとき、「今日はどう混ぜよう」と考える選択肢が残った。
明日の洗顔でも、またその日の気分で少し変えてみればいい。そう思うと、「お気に入りの配合」が決まったあとにも、まだ試せる余白が残っていた。
次の洗顔から1週間だけ、パウダーの量を少しずつ変えてみる。
「今日の配合、好きだったかな」と、自分の感覚だけを頼りに比べてみよう。