夕食のテーブルに、大皿へ載せたボイルのカニを一杯、そのまま置いてみる。切り分けられた料理とは違って、最初にするのは箸を伸ばすことではない。
「これ、どこからいく?」
そんな一言から、いつもとは少し違う夕食が始まった。
カニ一杯を囲むと、食卓に会話が生まれる

テーブルの中央にあるのは、脚も甲羅もついたままのカニ一杯。家族の視線が自然とそこへ集まる。
「まず脚かな」
「こっちから外せそう」
「甲羅は最後?」
誰かが正解を知っているわけでもないのに、あれこれ言いながら手を伸ばしていく。そのやり取りが、もう食事の一部になっていた。
普段なら、それぞれの皿に盛られたものを自分のペースで食べ始める。けれど、一杯の姿のまま目の前にあると、まずみんなで同じものを見ることになる。
脚を一本外すだけでも、「次はどこにする?」と話が続く。大きな皿の上で少しずつ姿が変わっていく様子も、なんだか気になる。
食べやすく分けられたカニなら、そのまま箸を伸ばしていたかもしれない。けれど今日は、「次はどこにする?」がなかなか途切れない。まだひと口目なのに、食卓はもうずいぶんにぎやかだった。
家族で少しずつ解体すると、食べる時間まで共同作業になる

外した脚を手に取り、殻を開いて身を取り出す。うまく取れれば、「きれいに出た」と少しうれしい。
隣では、なかなか身が取れずに苦戦している。
「こっちから開くと取りやすいよ」
「じゃあ、これお願い」
いつの間にか、自分の分だけを黙々と食べる夕食ではなくなっていた。
取り出した身をそのまま自分で食べることもあれば、「これ食べる?」と隣へ渡すこともある。どの脚を誰が食べるかも、きっちり決める必要はない。そのとき気になったところへ手を伸ばし、少しずつ一杯を分けていく。
殻を外す時間があるぶん、食事の速さも自然とゆっくりになる。次々と料理を口へ運ぶというより、一つ取って、話して、また次へ。
「こういうところにも身があるんだ」
普段なら気に留めない部位まで目に入るのも、一杯をそのまま囲んだからこそ。食べるものとしてだけではなく、「このカニをみんなでどう食べていこう」と眺める時間まで含めて楽しめる。
こうして一つのものを囲んでいると、食べることと話すことがきれいに分かれない。殻を開きながらひと言、身を渡しながらまたひと言。そんな夕食も、たまにはいい。
食べ終わるころ、一杯を囲んだ時間が思い出になる

食事が進むにつれて、大皿の上には殻が増え、最初にあったカニの姿はほとんど残っていない。
「ずいぶん食べたね」
「最初、あんなに大きかったのに」
テーブルを見渡すと、それぞれの皿にも食べ終えた殻が少しずつ積み上がっている。それを見るだけで、みんなで一杯を食べ進めてきた時間が分かる。
おいしかった、で終わる夕食もいい。でもこの日は、どの脚から食べたか、誰が上手に身を取り出したか、甲羅を見ながら何を話したかまで残っている。
「こんなところにも身があったね」
「最初はどこから食べるか迷ったね」
さっきまでのことが、もう話題になっている。大皿に残った殻を眺めると、一杯をみんなで食べ切ったことまで、ちょっとした出来事のように見えてきた。
次に家族がそろったとき、「また一杯をみんなで食べようか」と思い出せそうな食卓だった。
次に家族がそろう日は、どんな一杯をテーブルの真ん中に置こう。姿のまま囲めるカニなら、食べ始める前の「どこからいく?」から楽しめそうだ。